六〇代以降はライフスタイル確立を六〇代以降になったら、高齢者にあった生活スタイルをとらなければならない。また、それを家族や社会が保障しなければいけない。高齢者とは六五歳以上の人をさし、六〇?六四歳の五年間を高齢移行期という。この五年間で頭を高齢者モードに切りかえ、無理のないライフスタイルをつくりあげることが期待されている。年金システムの崩壊も関係しているのか、くしいことはわからないが、高齢期をあと五年遅らせて七〇歳以降にしようという考えもあるようだ。高齢者の体力や気力が予想以上に高いことから、上方修正が考えられても不思議ではない。

 

 

ところで、日本は急速に高齢化した長寿国であるが、なにぶんにも急づくりのため、高齢者にとってかならずしも住みやすい社会にはなっていない。高齢者が、生活リズムが不規則な四〇代や五〇代といっしょに中高年扱いされて、無理をしているのである。ほんとうは家に早く帰って、早く眠りたいのに、若い人とつきあうことになる。昔は五五歳で定年退職したので、夜遅くまでつきあいに忙殺されることはなかった。いま六〇歳で夜遅くまで出歩いている人は、家に帰ったらクタクタではないかと思う。老人が老人らしく暮らすことができにくい環境なのである。六〇歳らしい暮らし方をしたときに、年寄り扱いしない雰囲気が必要である。

 

 

この世代は、睡眠効率が悪くなってきたのだから、長い睡眠時間が必要である。ところが早く目がさめてしまうなど、不都合なことが多くなる。結果的に六〇歳以降は睡眠時間を確保するために、寝床の中にいる時間は伸びてくる。社会的な制約から、そんなに朝寝坊できないので、睡眠時間を稼ぐためには早く寝たい。しかし、夜型で元気のいい人たちは、遅くまで起きているので、つきあわなければいけないとなると、それもむずかしい。六〇歳を過ぎたら自分のライフスタイルを確立し、自分にあった規則正しい生活を維持すべきである。高齢社会では成熟した個人主義が尊重されなければならない。トイレに近い部屋を高齢者に与えるのはいいことなのだが、家が高齢者用につくられていないことが問題である。自分が建てた家でも、手すりにつかまりながら上がることになるとは夢にも思わなかったから、高齢者用の間取りにしていないし、設備もそうしていない。これからは、廊下の幅を広げて車椅子移動ができるようにするとか、階段を歩いて上がらなくてもいいようにレール式のリフトをつけるというような、設備が必要である。六五歳以上を高齢者とする考え方は、数年後に終わることになるだろう。七〇歳までは中年後期とか老齢移行期とか、いろいろな呼び名があるが、六〇代後半の五年間のうちにライフスタイルを切り換えてほしいものである。体がまだじょうぶなうちに、家の改造や身のまわりの手直しをして、いい睡眠といい生活ができる環境をつくりあげてほしいものである。